2010年6月29日火曜日

いい仲間

今日夜久し振りにこんな面子で酒を酌み交わしました。テレビ局の枠を超えて話が通じるいい仲間なんです。日テレ解説委員を務める下川美奈さん、TBSニュース23の松原くん、同じく金富くん、テレ朝社会部記者横地くん、そして私。年齢はばらばらだし、仕事もちょっとづつ違っているけど、会って話していて楽しい。得難い友なのだ。写真をご覧ください。

あの文太さんと〓

今日ニッポン放送の収録であの菅原文太さんとご一緒した。日曜朝に放送される30分の番組で、今回は7月4日早朝にオンエアされるそうだ。
テーマは沖縄の普天間基地と名護市辺野古の話。このままじゃ大変なことになる。我々でなんとかしなきゃあ、ということで何人か有志でアピールを出そうということで盛り上がった。
菅原文太兄いは熱い!

2010年6月28日月曜日

大森実さんと語る会




今日午後4時から二時間余り、赤坂プリンスホテルで、えんぴつ一本 大森実さんと語る会が開かれた。大森さんは今年3月25日、88才で亡くなられた。

偲ぶ会とか送る会ではなくて、あえて語る会としたところが幹事の気持ちだ。
私には奥様のご指名で司会の大役が回ってきた。
大森さんは毎日新聞、それも大阪社会部、外信部の大先輩だ。私は大森外信部長に憧れて朝日新聞ではなく毎日新聞を受験した。大森外信部長率いる毎日新聞のベトナム戦争報道は当時圧倒的な輝きを放っていた。しかし、私が入社した翌年の昭和41年、ベトナム報道にクレームをつけたライシャワ−アメリカ駐日大使の圧力の下大森さんは毎日新聞を去った。
当時の毎日新聞は大切な宝を手放した訳だ。
今日の会で大森さんの奥様が最後に挨拶されたが、この話が本日一番のいい話だった。大森さんのジャーナリストとしての原点は権力のいかがわしさと既成事実への懐疑感、現場主義で得られる別の視点だった、と奥様は話された。
私の生き方そのものだ。
改めて自分の人生を見つめたひとときだった。

2010年6月27日日曜日

もう一枚!

もう一枚!

あのガキ大将は今?

私が卒業した中学校の名前は吉井中学校。当時吉井町立吉井小学校と隣村、千年村の千年小学校の生徒が中学校で一緒になった。
最初は知らない仲だからなんとなくにらみ合いみたいなものが続いたような気がする。千年小学校からやって来た生徒の中で一際体がでかく目付きも鋭い奴がいた。確かに喧嘩早く見るからにガキ大将という感じで、皆に恐れられていた。
彼の名前は生野省三。
私はやせっぽちの弱虫小僧だったが、これが不思議に生野くんとウマがあった、というか仲がよかった。そのせいか大人になっても彼との交流は続いていて、時々彼から便りがある。
生野くんとは高校進学の時別れたので暫くというかかなり長い間音信不通だったのだが、同窓会か何かで会って以来交流が復活。彼はなんと!画家になって地元では有名なほど活躍していた。彼の描く絵は見るだけでたちまち童心が蘇る、メルヘンチックな詩情溢れるものだ。
その内の一枚を写メで撮影して添付する。
ただ心配なのは腎臓を悪くし、人工透析をしなければならないことだ。

映画「キャタピラー」


 若松孝二監督の映画「キャタピラー」が第60回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀女優賞)を獲得したことはもうとっくに報じられているが、日本で上映されるのはこれからだ。この映画は久しぶりに日本人に、特に戦争を知らない世代には是非見て欲しいと私が思う映画だ。
私が求めに応じてコメントを寄せている。それは小冊子などに紹介されているが、ここに採録しておきたい。以下その全文だ。

「まず何故『キャタピラー』なのか?タイトルを見て誰もが不思議に思うだろう。普通はキャタピラーと聞けば戦車の地響きを想起するからだ。正確には物も人も踏みつぶして進む無限軌道のことを意味する。確かにこの映画は戦争というものが人間も自然もすべてを破壊し尽くすものだということをずっしりと腹に応える如く描き出している。その点でキャタピラー=戦車という名の反戦映画かもしれない。
 しかし、キャタピラーの本当の意味を知ると、監督がそんなありきたりの反戦映画を意図したものでないことが分かり慄然たる思いに襲われる。
 いもむしーそれが映画の真の意味である。
 日の丸と歓呼の声に送られて戦地に向かった一人の若者はやがて両手両足を失い、耳も聞こえず言葉も発することの出来ない一つの肉の塊と化して帰還する。しかし、このいもむしは食欲と性欲だけは、それが人間の最後の証であるかのようにすさまじい。映画はその様子を執拗に描いていく。
 妻がいもむしの求めに応じ上にまたがっていくセックスの場面の背後には男がかつて『軍神』と讃えられた新聞記事と三つの勲章が並び、その頭上には戦時中は必ずどの家にもあった天皇、皇后両陛下の”ご真影”が飾られている。
 この映画は今やほとんど日本人が忘れ去ろうとしている太平洋戦争をはじめとする『戦争』の本質を鋭く抉り出し、観る者をして思わずいもむしと化した男の胸中に思いをいたす。ズキズキとわが身が痛い、反戦映画である。当世の若者たちに是非観てほしい作品である」

 最近、日本では沖縄の普天間基地の移設をめぐって「抑止力」なる言葉が一人歩きしている。ここで声を大にして言っておきたい.あらゆる戦争は悪である。若松孝二監督も言っている「正義の戦争なんて、どこにあるんですか?」
 私は終戦時5歳だった。戦争をかろうじて覚えている最年少の世代である。私たちの一歳下の人達は覚えていないらしい。昭和16年生まれの萩本欽一さんは覚えていないと言っていた。昭和15年、西暦1940年。もう一つ冗談まじりに言えば紀元は2600年。昭和21年に戦後初めての小学校に入学した言わば「戦後一回生」。私たちは戦争と戦後を繋いでいく責任を負っているんだと思う。

2010年6月25日金曜日

即興ライブは大成功!!

6月25日、FJ'sでのライヴが終わってほっと一息。二時間半皆さん楽しんで頂けたようです。今日のテーマは即興。鬼武みゆきさんの即興ピアノが最高、私も谷川俊太郎さんの詩を即興で歌いました。生まれて初めての経験!楽しかった!次のライヴは11月13日、土曜日。船橋市の宮本公民館で。乞う、ご期待、お楽しみ!

僕の名前は・・・

今日は初めて携帯電話からブログに原稿を入稿します。これが可能になると、出先からじゃんじゃん投稿でき、更新が容易くなりますね。ブログに詳しい人からすれば、そんなの当たり前じゃん、って言われそうだけど、前期高齢者にとっては大問題なんです。この原稿の第一号を記念して孫のりう君に登場してもらいます。

読み終わったぞ!!


 久しぶりに手応えのあった本を読了した。
なにしろ553ページびっしりと詰まった小説。日本のものならこのくらい読むのにそうは力は必要ないんだけど、なにしろ翻訳本なだけに読み辛い。でも途中から引き込まれるように一気に読んでしまった。
 本のタイトルは『The Last Song』。まだちゃんとした製本前なのでこれは仮題。いずれ店頭に並ぶときはそれなりに翻訳のタイトルがつくんだろうな。著者は『君に読む物語』で「日本中を感動の渦に巻き込んだ」と言われる「世界NO.1恋愛小説家」ニコラス・スパークス。近く映画も公開されるという話だが、これは一読をお勧めしたい。特に子を持つ親世代、そして自らが子供の若い世代。さらに今子育て真っ最中のお母さん、お父さんたち。もう涙ぼろぼろだよ.間違いなし。私も自宅で読んでいたからよかったが、外だったらどうしよう??そのくらい心を揺さぶられるねえ。内容は敢えて言わないが、要するに父と娘の話だ。父は・・・・・うーん、病んでいる。それだけね。
 最近急に読書欲が増進して手当たり次第読んでいる。老眼なので読書はちょっと辛いのだが。70歳を超えて何でも色んなことに猛烈に挑戦意欲が増進して困る程。時間が足りないのだ。もう生きてる時間が残り10年として10×365=3650日。3650×24=87600(時間)。87600時間かあ!!!!!こうやってパソコンに向かっている間にも一時間づつ削り取られて行くんだ。無駄に時間を費やすな!といいながらどうでもいいことにだらだら時間を潰してしまう自分がいることも分かっている。人間、そうは言っても始終張り切っていては生きて行けないんだ。それに睡眠時間だって必要だ。一日に6時間は寝るとして、また計算してしまうと、3650(日)×6(時間)=21900時間。えーっ!ということは87600時間あると思っていたが、覚醒して何かに使える時間は87600ー21900=65700時間だ。6万5千時間だよ、80歳迄の使える時間てのは。大切にしなければなあ・・・・などと呟くが・・・・・
 あなたは持ちj間はどのくらいありますか??
 

2010年6月24日木曜日

森進一コンサートに鳩山さんが・・・・

昨日23日は森進一歌手生活45周年コンサート、今夜(24日)は米倉涼子さん出演の「CHICAGO」を見に行った。森さんは30年以上前からの付き合いで、彼がトラブルに巻き込まれると何かと相談に乗ってきた仲だ。でもそんなことよりも私が森さんを日本一の歌手だと思っている。つまり、森さんの歌が文句なしに好きなのだ。森さんの歌は日本人の心を歌うものだ。イウ”・モンタンのシャンソンがフランス人の心を歌い上げているとすれば、森進一は日本のイウ”・モンタンだ。でも昨日のの最大の驚きは鳩山前総理が会場に来ていたことだ。SP付きで会場に入って来たときはお客さんたちが大騒ぎで、依然鳩山さんは人気者なんだと思えましたが・・・しかし民主党の選挙の応援に行かなくて中野サンプラザなんかにいていいのかしら??と心配になりましたが。総理の職を辞して何かノビノビとした様子だったなあ。
 今日のCHICAGOはやはり米倉涼子さんが光っていたなあ!歌あり踊りあり.楽しい舞台だった。
 ところで、今日参院選は公示され、来月11日の投票日迄の選挙戦が始まった。
 菅総理は鳩山さんが慎重な言い回しにしていた消費税について随分踏み込んで話を始めている。確かにいずれ消費税の問題は避けて通れない。しかし、このタイミング、参院選を前にして10%の消費税と数字迄上げて論じ始めて選挙は大丈夫なんだろうか?と思ってしまう。参院選を戦っている候補者は気が気じゃないだろうなあ。この正面突破作戦が失敗すれば民主党は参院での過半数を制することはできず、連立工作がうまくいかなければ、参院で法案は通過出来ず、といって衆院で三分の二を確保出来ず予算と条約以外の法案はすべて成立出来なくなる。そのときは菅内閣は立ち往生だねえ。何か私の予感では民主とは参院選では過半数は無理なような気がする。菅さんが敢えて消費税問題に踏み込んだ真意は何なのか?分からん!

病気自慢をしてもねえ?!


 今週火曜日ジムの後虎の門病院で耳鼻科の診察を受けた。
 私は虎の門と言えばがんの検査だと思う人が多いだろう。が、しかし、実は一番長く通院しているのは耳鼻科なのだ。全身麻酔の手術だってがんの前に左耳の内耳手術をやっている。耳鼻科で虎の門に通っていたから自然に人間ドックの検査を虎の門病院で受け、結果大腸がんの存在が判明した。という訳で耳鼻科の病気は私の命を救ったのかもしれない。そう思うと耳の病気ーメニエル病だってまあ許せるよねえ。
 しかし、このメニエル病というのはそう半端なもんじゃない。これはこれで相当に苦しい思いをして来たのだ。最初はある時ゴルフ場でスイングをしようとした瞬間背後でなく虫の音が気になった。振り返って背後を見たけど一面芝生が広がり虫がいそうな木立は無い。何だろうなあ??本人は訝しく思いつつもそれで忘れてしまった。ところが、帰りの運転する車の中でまた虫が鳴いているのだ。私はキョロキョロ車内を見回した。だけどそれらしいものは見当たらず。
 これが私の身に耳鳴りが発生し始めた初めての日だ。
 やがて難聴になり左の耳は電話も使えないようになって来た。
 メニエル病は耳鳴り、難聴、めまいの三点セットである。
 それぞれの症状がどれもかなりきつい。
 まず、耳鳴り。これは耳の内部にセミ100匹を飼っているように感じる。とにかくうるさい。これが24時間なっているんだから堪らないんですよ。深夜寝ようとするとシーンと静まり返った部屋の中で私の耳の中、というより頭の中ではジェット機が何十機も飛び回り出す。
もうとても寝るどころの話じゃない。こう言う日が続くと頭の中の騒音に脳がかき回されて発狂しそうになる。これはウソでもなんでもなく本当に気が狂うんじゃないかと恐れた。
 しかし、睡眠導入剤などで強制的に眠らせてしまうと、その辛さからは解放される。だから早く寝てしまおうとする。眠ると意識を失うのだから耳鳴りを感じずに済むという訳だ。
 こう言う日々を繰り返しているうちにそうかこれが自殺者の心理か!?
 納得する。私も正直に言うと何度か自殺への誘惑を感じた程だ。
 つまり、あまりの辛さのあげく永遠にこの辛さとさようならしたくなるんですね。
 私は割としぶといんで踏みとどまったんだけど、このプロセスで自殺者の心理が内部から分かった気がしましたね。それでどうしているのかと言うと、この苦しみからのただ一つの出口は人間が持っている偉大な機能『慣れる』ということなんです。慣れることで次第に日常は忘れていることがあります。これが救いなんですね。慣れと忘却、これが無ければ多くの人が発狂しているはずです。
 もう一つの問題は、 こう言う耳の苦しみは外見的には何ら問題は見えず、誰の同情もひか
ない。一見した所普通の人に見えるんですね。
 難聴も辛いんですよ。相手の声は聞こえているんだけど意味が取れない。何を言っているのか、分からない。最初は気になっていたけど最近はもう放ってある。聞こえなかってもいいや。どうしても聞かせたいことなら相手がもう一回言って来るだろう。ただ、居酒屋、パーティなど皆がわいわいがやがややっている所は苦手ですね。それから店によっては無神経にバックグラウンドミュージックを大ボリュウムで流している店。腹立ちますね。君は健常者だから分からんだろうが、人によっては苦痛に感じている人もいるんだよといいたい。
 次に頸椎の異常。これは42歳の折、アメリカの新聞社に職場留学をしたことがある。
 その時下宿のお兄ちゃん、キャッチボールをしようと言ったらビュンビュン速い球を投げて来るんだ、これが。よーっし、負けるか!!ここで妙な日本人的ナショナリズムを出したのがいけなかった。投げた瞬間に首のあたりでグキッ!!と妙な音がしたんです。それから左の手が痛くなり、痺れたようになった。帰国して病院や整形外科あらゆる所を回った結果、MRI検査の結果、頸椎の5番と6番の頸椎がズレて神経を刺激している。これを治すには手術しか無いが、万一間違うと下半身が麻痺してしまうこともあります、と医師が宣言。それで私は諦めました。一生この痛みやしびれとつき合おうと思いました。以来28年間私は左手の親指と人差し指は痺れ放し。ボタンが掛けられないのが不自由だけど、これも「慣れ」ですね.今ではあまり気にならなくなった。
 という訳で現代医学で治らないメニエル病と左手の痺れを抱えて生きて行くしか無い。
 がんは何とか手術などで治療出来るけど耳鳴りを最新の医療でも治せないというのだから
こりゃもう諦めるしかないですね。
ナーンテ病気自慢してみても始まらないわねえ!
 ま、ボチボチ生きますかねえ。

2010年6月19日土曜日

50年前の丁度この瞬間


間もなく6月19日の24時を迎えようとしている。
私たちは50年まえのまさにこの瞬間、京都駅のコンコースに座り込んでいて駅構内の大時計の長針が12を指そうとしているのをどうすることも出来ず、ただ悔しさで一杯になりながら見上げていた。
岸信介首相が強引に衆議院で通過させた日米安全保障条約改定の批准が参議院で自然成立する瞬間だった。
思い出すなあ・・・・・あの時は若かった。丁度20歳の誕生日を迎えてそんなに時間は経っていなかった。僕らは(って言い方になるなあ)あの時何に向かって懸命になっていたんだろう?
今となっては何かボンヤリとしていて明確ではない。
岸内閣が警官を議場に導入してまで強行採決したことには怒っていた。
何と言うことをするんだ!!
僕らのような戦後一回生には小中高とようやくなじんで来た戦後民主主義と平和が岸内閣の手で壊されていくのを見るのは許せないという思い。これは確かにあった。でも安保条約の改定の内容についてどこ迄正確に知っていたんだろうか?
後で次第に明らかになったのは昭和26年の講和条約で日本が背負わされた、占領軍アメリカと日本の間にある不平等を少しでも対等に近づけたい、というのが岸内閣の目的だったと言う。と言ってもそれほど自主独立の関係ではない。占領体制はそのまましっかりと残ったままだった。しかし、日本の首相として日米安保にちょっとでも手を付けようとしたのは事実だ。
それから50年=半世紀の間、日本の首相でこの安保条約体制に手を付けて何とかしようとした人はいない。民主党の鳩山前首相は野党時代には「駐留なき安保」などと安保体制を根本から変えるように発言していたはずだ。それが、首相になったとたんに「抑止力」だもんなあ。
がっくりですよ。菅政権になってもそれは変わってはいない。むしろ「現実主義」などという言葉で日米安保体制は固定化されようとしている。
日本はあれから50年経った今こそ、日米の、真の意味での対等な関係を築く時だと思う。
「抑止力」など言うまやかしの言葉にごまかされずに「本当に日本にこれだけ多くの米軍基地は必要なのか?」という基本的な議論をちゃんとやってから新たな日米関係を構築すべきだ。
アメリカはキチンとものを言う人間を信じるし、尊敬する。媚びて本音を言わないような人間は重宝だけど、腹の中で軽蔑しているんだよ.それがアメリカさ。
50年目にあの時僕らは何を思い何をしようとしていたかを考えていると、今こそ私たちは何をなすべきか?私には明瞭に見えて来る。
あの当時生きていた人達はいま、そして今日なにをおもっているんだろうか??

2010年6月18日金曜日

驚愕の真実

今日朝8時前に虎の門病院で受診。先日検査をしたPET-CTの結果を聞いた。いや、聞いたというより1枚の診断結果(読影レポート)コピーを渡された。
「全身に直腸癌の再発・転移を疑う異常集積を指摘できません」
と先ずは目出度しめでたしなのだが、次の一文には思わず驚いた。驚愕したと言った方がいいかも。
「右の第11肋骨背側に骨折が疑われ、FDG高集積が出現します。この集積のSUVmaxは2、3->2、2と低下し、転移性病変は否定的です.外傷の既往などを確認してください」
何???肋骨の骨折ってかあ!?
暫く何が書いてあるのか理解出来ませんでした。
しかし、しかし、次の瞬間、1ヶ月程前の早朝に起きた、ある出来事が蘇って来ました。
洗面所で、そのときまだ寝ぼけていたのか、フローリングの床上に敷いてあるマットを滑べらして右の背中のあたりを椅子の手すりにしたたかに打ち付けたことがありましたねえ。
別に傷も無く、腫れ上がることも無かったのですが、そう言えば暫くの間右背中部分が痛かったという記憶が残っています。打ち身の痕かなあという位の感じで筋肉痛用の塗り薬を塗ったりして放っておきました。その内忘れていたのですが、この文章を見て何いいい???とすべての謎が明らかになりました。あのとき私は右肋骨背側、それも第11肋骨という特定の骨を折っていたんですわ!!恐らく肋骨の一番下の部分を打ったんでしょう。
で、そうか肋骨というのは11本あるのかあ!!??と妙に感心していたり。
アホですね、ホントに。
で、今の所の疑問はPET-CTで骨折が疑われたと言うことは私の第11肋骨はまだ折れたままなのか、それとも繋がったけど折れた痕跡があるというのか。どちらなんでしょうねえ??
でもその後相当ハードな筋トレを週に3回もやっていたんですから、その骨折の影響は無かったんでしょうかねえ?いやはや我ながら驚いています。
まさに驚愕の真実でした。

2010年6月17日木曜日

70からの改造


私は70歳の誕生日を迎えたとき、ある決断をしました。
残り時間はもうそんなにはない。ならば後悔しないようにこれ迄やっていないことに好奇心のままチャレンジしよう!って。で最初にやったことがちょっと情けないんだけど生まれて初めてパーマって奴をかけてみたって訳だ。あれから3か月経ってもうすっかりパーマのちじれ具合も伸びちゃったけど。まあ、あれはあれで楽しんだなあ。次にチャレンジしたのが70歳から人は肉体改造が出来るのか、ということ。
BS朝日「医療の現場」の取材もかねてジムに通ってちょっと筋肉の基礎体力をつけてみようと思った。選んだのは仕事場の近くにある「TOTAL Workout」。そう、あのケビン・山崎さんのジムだ。最初の日には清原くんに会った。久しぶりに会えて嬉しかったが、清さんはゴリラのように筋肉もりもりですごかった。かれはケビンさんがシアトルでジムを始めた時からトレーニングをやっているという。
さて、ジムなどというものとは全く無縁だった私にハードなトレーニングが耐えられるのか?
なにしろ70歳なのだ。もはや筋肉なんてものはあるようで無いに等しい。しかし、そこはチャレンジだ。何事も体当たりでぶつかる覚悟だ。
私を常に面倒見てくれるインストラクターに紹介された。
小柄だけど引き締まった身体で相当に鍛えたんだろうな、と思わせる池澤智さんだ。いつもニコニコ、相当に辛いトレーニングも彼女の笑顔を見ると頑張ってしまう、そんな不思議なオーラを発散させている人だ。
ウエートトレーニングやバランスのトレーニング。共に身体が固い、というか筋肉が使ってないので固まってしまっている我が身は一つ一つの種目で悲鳴を上げている。でも始めて2ヶ月、池澤さんのとても乗せるのがうまい指導で少しづつ我が肉体は変化を見せ始めたのだ。出来なかったことが出来るようになる。これは正直嬉しい。チャレンジはご褒美が無いとやれないんだろうなあ!!納得!
本日も昼から1時間みっちりとバランス系のトレーニングをやった。片足立ちで30秒!最初は何回やっても2〜3秒でよろけていたのになんと今日は30秒立っていた!!!!!自分でも信じられんわあ!!!
70からの身体は放っておけばどんどん劣化してすぐ転んで骨折したりする。
そう言う事態にならないように上半身と下半身の筋肉を鍛えて加齢劣化に少しでも歯止めをかける。それが出来れば毎日が大分明るくなるはずだ。
後何年生きているかは神のみぞ知るだが、残りの時間はこういう風に新しいことにチャレンジして、好奇心を満足させながら呼吸して行きたい。
次は何をやろうかなあ???

2010年6月16日水曜日

胃カメラを呑んだ!

今日は6月16日、国会は閉会し世の中これから参院選挙一色かな?
そうでもないか。19日19時からオランダ戦だしなあ、もしだよ、勝っちゃったらこれは参院選が脇にそれてしまいかねないな。サッカー一色になるかも。
まあ、いいか、それより私、本日胃カメラをやって来ました。もう3年位上部消化器は内視鏡検査していなかったのでやったところ、中位咽頭に1ミリ半、食道に4〜5ミリの変色部分が見つかりました。担当医師は「単なる炎症かもしれないけど、前がん症状かもしれないので、4〜5ヶ月後にもう一度検査して様子を見ましょう」と慎重なお言葉。うーん、また厄介な話やなあ、と独り言。今年の秋口に検査してみて、がんだったら内視鏡で摘出すればいいしとも思う。
ところで、最近一気に読んだ五木寛之さんの「親鸞』(上下)が意外にも面白かった。意外にというのは五木さんに失礼か。親鸞の子供の頃の話は知らなかった。私の亡父が親鸞に若い頃から深く帰依していて、亡くなる直前も親鸞と念仏を心にしっかり抱きながら人生の最後を生きたのを知っているので興味深く読んだ。これからは私も少し親鸞を身近に感じながら生きて行きたいと思う。南無阿弥陀仏!!

2010年6月13日日曜日

今日よりオフィシャルサイト立ち上げます。

今日は6月13日、何の記念日でもないけれど、今日から私の初めてのオフィシャルサイトを立ち上げることにしました。
東京は今日は少し蒸し暑い夏日のような晴れの日曜日。昼から妻が次女の元へ出かけてひとりぼっちになったので、散歩に出ることにしました。目標は白金付近にあるスタバあたり迄行って、スタバでラテショートとクロワッサンを片手に爽やかな風が流れる店の外の椅子に座って本を読むこと。今はニコラス・スパークスの「The Last Song」という、ちょっと分厚い本を読んでいる最中です。
金曜日の夜「報道ステーション」に出たあと、スタッフの一人に私が探していた木村多江さんの「かかと」を貸してもらい、その夜のうちに読んでしましました。木村さんは彼女がNHKのドラマ「上海タイフーン」(だったと思うんだけど)に主役で出演されているのを見て以来のファンですね。先日は「東京島」というちょっと訳の分からない映画を見て来ました。ストーリーはなんだかなあ??という感じですけど、木村多江さんはとても良かった。まあ、なにしろファンだから何でもいいちゃあいいんですね!!
その木村多江さんのエッセイ「かかと」も面白い!。如何にに自分がダメだったかが延々書いてあり、読者はいいんや、そうじゃないじゃろ!ないじゃろ!と懸命に否定しながら読んでいると言うこれは自虐的主張という大変高度なテクニックを使ったエッセイ集です。是非木村多江ファンはお読み下さい。
若い時から「目が小さい」と言うことを如何にコンプレックスに思っていたかが面白おかしく書いてありますが、木村さんてそんなに目小さかったっけ?
昨日は関西大学のゼミの教え子が結婚したので結婚式に行って来ました。
ゼミの学生には申し訳ないけど私は一回しかゼミを受け持ったことがないので先輩も後輩もいない世界中で一つだけの花じゃなかった一回きりのゼミです。
だけに皆仲がよく、今の所5人が結婚しています。
今月は検査が集中していて先ずPET-CT検診、胃カメラ検診、CT検診、耳の検査など・・・
お別れ会もばばこういちさん、大森実さん。
森進一さんのコンサート(23日)米倉涼子さんの「Chicago」(24日)も見に行きます。
そしてもうこれで何回目かのピアニスト鬼武みゆきさんとのジョイントコンサートを25日にやります。ピアノの演奏あり、詩の朗読あり、話あり、即興の演奏ありとちょっと面白い趣向のライヴです。良かったら来て下さい。会場は中目黒のFJ'sで5000円です。