2011年5月6日金曜日

カトリーナの爪痕


ニューオーリンズで驚いたのは2005年8月に襲ったハリケーン・カトリーナの爪痕が町のあちこちに多く残っていることだ。
この年の10月に私は直腸がんの手術をしたので、カトリーナの傷が癒えるのと私のがんとの戦いの日々とは時期的にはちょうど重なるわけだ。
結構時間は経っているように思えるが、ニューオーリンズの被災地帯を車で念入りに回ってみると、壊れたまま放置された家がそこらじゅうにあり、家の礎石だけがむき出しに残り、もはや原野としか言いようがないところが目立った。
多くの住民が町を出たまま未だに帰っていないのだという。被災地の大半がミシシッピ河や湖の近くにある貧困層の住んでいたところで、100%黒人、つまりアフリカ系アメリカ人だ。 ニューオーリンズは黒人居住区と白人の住んでいる地域は確実に分かたれているようだ。黒人居住区で被災地の親や家を失った子供たちを音楽で立ち直らせている試みールーツ・オブ・ミュージックの練習を見学に行った。8歳から14歳までのこども125人がブラスバンドの練習をやっていた。教えているのはボランティアの音楽教師やミュージシャンたちだった。練習中の子供たちは真剣で規律正しいのが印象的だった。
何かに熱中するのはいい教育なんだろうな。
日本の津波の被災地の子供たちには極めて示唆に富む光景だった。
(写真はミシシッピ河を背景に取材スタッフと)
なお、この取材報告は6月7日夜NHKのBS1で放送される。こう、ご期待!

2011年5月4日水曜日

ニューオーリンズの町には音楽が溢れている

4月30日からアメリカはルイジアナ州ニューオーリンズに来ている。
NHKの「旅のチカラ」という番組の取材で10日間ね旅だ。旅の目的はマイ・ラストソングを探すこと!私は新聞記者になりたてのころ、新潟支局時代だけど、偶然手にした一枚のLPレコードに心を奪われた。
それはそれまで大学生のころ親しんでいた音楽とは異なるものだった。
オスカー・ピーターソン、ピアノトリオ。
初めて知ったビアにストだった。後で彼はジャズピアニストとしては神のような存在だと知ることになるが、その時はジャズの世界に疎かったせいで、何も知らないまま手にしたレコードだった。
何気なく下宿の部屋で独り聞いたとき、すっかりはまってしまった。
「カナダ組曲」
カナダ生まれのオスカー・ピーターソンが作曲、演奏している、この組曲を繰り返し繰り返し聞いたものだ。
私の青春時代に出会った忘れ得ぬ一枚の絵のような記憶だ。
そこから私はジャズの世界に導かれていったようなものだ。
で、今回の旅はジャズが生まれた町、ニューオーリンズに自分が死を意識したとき最後に聞く曲を探しにやって来たというわけだ。
ニューオーリンズの町にはジャズが溢れている。フレンチクォーターの通りではあちらこちらからバンドの音が聞こえてくる。
ここは一年中お祭りのような町だ。存分に楽しんでいきたい。
写真はここの祭り、マルディグラでみんなが被るマスクを被ってみたところ!