2010年6月19日土曜日
50年前の丁度この瞬間
間もなく6月19日の24時を迎えようとしている。
私たちは50年まえのまさにこの瞬間、京都駅のコンコースに座り込んでいて駅構内の大時計の長針が12を指そうとしているのをどうすることも出来ず、ただ悔しさで一杯になりながら見上げていた。
岸信介首相が強引に衆議院で通過させた日米安全保障条約改定の批准が参議院で自然成立する瞬間だった。
思い出すなあ・・・・・あの時は若かった。丁度20歳の誕生日を迎えてそんなに時間は経っていなかった。僕らは(って言い方になるなあ)あの時何に向かって懸命になっていたんだろう?
今となっては何かボンヤリとしていて明確ではない。
岸内閣が警官を議場に導入してまで強行採決したことには怒っていた。
何と言うことをするんだ!!
僕らのような戦後一回生には小中高とようやくなじんで来た戦後民主主義と平和が岸内閣の手で壊されていくのを見るのは許せないという思い。これは確かにあった。でも安保条約の改定の内容についてどこ迄正確に知っていたんだろうか?
後で次第に明らかになったのは昭和26年の講和条約で日本が背負わされた、占領軍アメリカと日本の間にある不平等を少しでも対等に近づけたい、というのが岸内閣の目的だったと言う。と言ってもそれほど自主独立の関係ではない。占領体制はそのまましっかりと残ったままだった。しかし、日本の首相として日米安保にちょっとでも手を付けようとしたのは事実だ。
それから50年=半世紀の間、日本の首相でこの安保条約体制に手を付けて何とかしようとした人はいない。民主党の鳩山前首相は野党時代には「駐留なき安保」などと安保体制を根本から変えるように発言していたはずだ。それが、首相になったとたんに「抑止力」だもんなあ。
がっくりですよ。菅政権になってもそれは変わってはいない。むしろ「現実主義」などという言葉で日米安保体制は固定化されようとしている。
日本はあれから50年経った今こそ、日米の、真の意味での対等な関係を築く時だと思う。
「抑止力」など言うまやかしの言葉にごまかされずに「本当に日本にこれだけ多くの米軍基地は必要なのか?」という基本的な議論をちゃんとやってから新たな日米関係を構築すべきだ。
アメリカはキチンとものを言う人間を信じるし、尊敬する。媚びて本音を言わないような人間は重宝だけど、腹の中で軽蔑しているんだよ.それがアメリカさ。
50年目にあの時僕らは何を思い何をしようとしていたかを考えていると、今こそ私たちは何をなすべきか?私には明瞭に見えて来る。
あの当時生きていた人達はいま、そして今日なにをおもっているんだろうか??