2010年6月27日日曜日

映画「キャタピラー」


 若松孝二監督の映画「キャタピラー」が第60回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀女優賞)を獲得したことはもうとっくに報じられているが、日本で上映されるのはこれからだ。この映画は久しぶりに日本人に、特に戦争を知らない世代には是非見て欲しいと私が思う映画だ。
私が求めに応じてコメントを寄せている。それは小冊子などに紹介されているが、ここに採録しておきたい。以下その全文だ。

「まず何故『キャタピラー』なのか?タイトルを見て誰もが不思議に思うだろう。普通はキャタピラーと聞けば戦車の地響きを想起するからだ。正確には物も人も踏みつぶして進む無限軌道のことを意味する。確かにこの映画は戦争というものが人間も自然もすべてを破壊し尽くすものだということをずっしりと腹に応える如く描き出している。その点でキャタピラー=戦車という名の反戦映画かもしれない。
 しかし、キャタピラーの本当の意味を知ると、監督がそんなありきたりの反戦映画を意図したものでないことが分かり慄然たる思いに襲われる。
 いもむしーそれが映画の真の意味である。
 日の丸と歓呼の声に送られて戦地に向かった一人の若者はやがて両手両足を失い、耳も聞こえず言葉も発することの出来ない一つの肉の塊と化して帰還する。しかし、このいもむしは食欲と性欲だけは、それが人間の最後の証であるかのようにすさまじい。映画はその様子を執拗に描いていく。
 妻がいもむしの求めに応じ上にまたがっていくセックスの場面の背後には男がかつて『軍神』と讃えられた新聞記事と三つの勲章が並び、その頭上には戦時中は必ずどの家にもあった天皇、皇后両陛下の”ご真影”が飾られている。
 この映画は今やほとんど日本人が忘れ去ろうとしている太平洋戦争をはじめとする『戦争』の本質を鋭く抉り出し、観る者をして思わずいもむしと化した男の胸中に思いをいたす。ズキズキとわが身が痛い、反戦映画である。当世の若者たちに是非観てほしい作品である」

 最近、日本では沖縄の普天間基地の移設をめぐって「抑止力」なる言葉が一人歩きしている。ここで声を大にして言っておきたい.あらゆる戦争は悪である。若松孝二監督も言っている「正義の戦争なんて、どこにあるんですか?」
 私は終戦時5歳だった。戦争をかろうじて覚えている最年少の世代である。私たちの一歳下の人達は覚えていないらしい。昭和16年生まれの萩本欽一さんは覚えていないと言っていた。昭和15年、西暦1940年。もう一つ冗談まじりに言えば紀元は2600年。昭和21年に戦後初めての小学校に入学した言わば「戦後一回生」。私たちは戦争と戦後を繋いでいく責任を負っているんだと思う。