人間には誰しも子供のころのある出来事がその人物の人生を決定付けてしまう、そんな経験があると思う。私は終世といってもまだ終った訳じゃないけど、人生ずーっと追いかけて来た問題がある。それは冤罪事件の報道である。冤罪、と一口に言うがそれは国家の名による犯罪だと思っている。全く無罪の人間を国家権力が無理矢理犯罪者に仕立て上げていくんだから、自分がそう言う立場になったらどうするだろうと思うとぞっとする。だから、私たちマスコミで事件の真相に少しでも近づける人間は冤罪には関心を持っていることが大事だと思っている。繰り返すが冤罪は国家権力による犯罪である。それに加担する警察、検察、裁判官いずれも関わった人間は世間にその名前を公表されてしかるべきだ。
私が子供の頃強烈に印象に残っている事件がある。
その事件の名は「菅生事件」
事件現場が大分県竹田市の近くの菅生村(後に菅生村は竹田市と合併編入)と言うこともあって九州の新聞,朝日新聞や西日本新聞などにはかなり大きく報道された記憶がある。
私はその頃から新聞記者になろうなんてつゆ程も思ってはいなかったが、新聞記事はよく読んでいた。だから菅生事件のことは鮮明な記憶として残っている。
事件のことは現在の新聞記者だって知らない人が多いと思うが、1952年(昭和27年)6月1日深夜、菅生村にあった大分県警菅生村駐在所が爆破された。事件の犯人として菅生村など地域で活動していた共産党員ら4人が逮捕された。
当時の共産党は徳田球一が指導していて武力革命路線を取っていたこともあって、新聞報道で知った国民は殆どの人が、共産党員による犯行だと思った。私も初めは新聞報道通りに受け取っていたが、裁判が進むに連れて雲行きが違って来た。警察官が共産党にスパイとして紛れ込み、その名も忘れはしない「市木春秋」なる男が爆弾をセットしたんではないかという疑問が新聞紙上でも浮上したのだ。
そのときのショックは忘れはしない。警察は正義の味方と思っていたのに、まさか警察官組織がそんな事件を自分で起こすなんて・・・・やがて「市木春秋」はスパイネームで本名は「戸高公徳」と言うことが判明していく。しかし、市木春秋は事件直後から姿を隠し行方不明になっていた。それを東京・新宿の安アパートに潜んでいる所を共同通信の記者たちが突き止める。わーカッコいいなあ!子供心に記者たちの取材振りに何か感動した記憶がある。このことと後に自分が記者になることとは関係ないのだけど、私の心の中に「菅生事件」と「共同通信記者達」が深く刻み込まれていたことはたしかである。
さて、今回私が読了したのは記事のトップに載せてある本『消えた警官 ドキュメント菅生事件』(講談社)。著者は大分県生まれの坂上遼氏。1952年(昭和27年)生まれなので私のちょうど一回り下にあたる。これは著者がトコトン調査をして書いたドキュメンタリー作品だ。物語は菅生村にボストンバックと風呂敷包みを下げた一人の男がやって来る所から始まる。この男こそ大分県警警備課の巡査部長、市木春秋(本名・戸高公徳)だ。事件と裁判のやり取りが克明に描かれていて実に興味深い本だ。私は一気に読んでしまった。
私がテレビ「ザ・スクープ(スペシャル)」で冤罪事件をしつこく追いかけるのも菅生事件の記憶がなせる業かもしれない。
ついでに書いておくと今私の頭にある冤罪事件は仙台で発生した筋弛緩剤事件。守大介くんが殺人に問われている事件だ。これはどう見てもおかしな事件だ。最高裁迄行ってもう確定している事件ではあるが、今後再審に向けて弁護士や支援者の動きが活発になっていくだろう。
私もメディアの一員としてちゃんと見守っていきたいと思う。