2011年8月29日月曜日



この動画は私の孫、りう、2歳半のドラム演奏の映像です。
2歳児でも音楽はちゃんと理解しているんですね。
リズムも取っているし、目を細めてドラム演奏する姿が
何とも言えずかわいいですね。

2011年7月3日日曜日

福島原発循環注水冷却の評価の違い

 最初に御礼から。
 6月30日に出したばかりの本『がん患者』(講談社)について色んな方からメールを頂いています。皆さんに1人1人にお礼状を書くべきところですが、とりあえずこのブログ上でお礼を申し上げておきたいと思います。ありがとうございました。直接ご面識のない方でもFacebookなどを通じて感想が寄せられてもいます。ご家族にがんの患者さんを抱えておられる方がやはりと言うべきか多いなあ、という感じがします。そういう方の参考になればと思って出来るだけ平易に、分かりやすく、しかし、がん患者になるとどういうことが身の回りに起きてくるのかを出来るだけ具体的に書きました。
まだお読みでない方は早く読んで検診などがん予防を役立てていただきたいと思います。

 今日のニュースで気になったところをいくつか取り上げておきます。
 「循環冷却に完全移行 福島第一」
 これは3日付朝日新聞の一面に3段見出しで載った記事だ。
 記事によればこうある。
「東京電力は2日夕、福島第一原子力発電所で、敷地内にたまった放射能汚染水を浄化しながら原子炉に戻す『循環注水冷却』に完全に移行したことを明らかにした。循環注水冷却は、東電の事故収束に向けた工程表の最大の目標である『燃料の安定冷却』を実現する柱とされる。うまく続けば、汚染水が増えるおそれを減らせることになる」
 これは3月11日の震災以降原発が事故を起こしてからどうにもこうにも人間の手に余る様相を見せていた中で、初めてああやっとうまくいったのかあ!と思わせるニュースである。今回の原発事故で分かったことはやはり原子力の利用というのは簡単にはいかないという一事であった。一度壊れた原発は元に戻すには乗り越えなければならない壁があまりにも多い。この汚染水の処理と原子炉の循環冷却はこの3ヶ月間ずーっと追求されながら度々思わぬミスとか損傷で躓いて来たものだ。それがようやく実現したようなのだ。
 うーん、それにしては朝日の記事はあまりにもニュースバリューの判断が小さいなあ!と思わざるを得ない。1面だけど3段見出しの記事ではないだろう。これまでの経過からいえばもう少し大きく取り扱ってもいいんではないだろうか?
 そういう目で毎日新聞を見ると、こちらは1面の2番手のニュースとしてかなり大きく扱っている。見出しは
 「福島第一原発  完全な循環注水 実現」
 「汚染水増加食い止め」
 と、2本立てである。さらに「汚染水処理の流れ」とタイトルの付いた図入りで説明してある。これは毎日新聞はこの事態を重く受け止めてニュース価値の判断をしたことになる。朝日も1面にはわずか25行の記事だが、「6面=今後の課題」と注を入れて記事が続いていることを示している。しかし、その6面には今回の「循環冷却」にいくつかの疑問を提示していて、そういう判断があってああ、1面の記事の扱いが小さくなったんだなあ、と分かる。
例えば6面の記事にはこういう下りがある。
「冷却効果にも疑問符がつく。原発がもともと備える冷却装置がない。汚染水がタービン建屋などにたまったり、浄化処理されたりする間に自然に冷えることに期待したシステムだ」
 なるほど朝日は東電の発表を受けてちょっと眉に唾を付けながら、それでも一応ニュースとしては流しておこうか!と言う、その程度の判断だったのだろう。
 では毎日はなぜ朝日より今回の循環冷却完全移行に積極的な評価を与えたんだろうか?
 毎日の記事にはこういう説明がある。
 「東電はトラブル対策として、複数の系統でも安定的に注水するため、圧力変動などを緩衝させる機能を持たせた注水タンクを1日に新設し、より安定冷却できるようになった。
 当面、原子炉への注水は処理水のみを使うが、枯渇が懸念される場合、従来のようにダムからの淡水を貯水タンクを介して使用できるようにした」
 はっきり言って朝日と毎日では今回の「循環注水冷却」について評価が微妙に違うのだ。それが1面での記事の扱い方に表れたんだろう。
 どちらが本当なのか??私も専門家でないから分からない。
 この記事の違いに注目して今後の推移を見守りたい。

2011年7月2日土曜日

最近の交友録

           毎日放送の松川浩子さんと。
           菅原文太さんと八ヶ岳の自宅で。
           コミュニティFMの収録で加藤登紀子さんと
           下の写真は仙台・六郷中学の講堂にある避難所
           で森進一、双葉百合子さんと。
                                            スケジュールノートを見てもいつだったか定かでないが、6月某日、森進一さん、双葉百合子さんらと仙台の避難所にチャリティーのお見舞いショーに同行した。仙台の若林地区は津波で壊滅的にやられたところで、その地区の人たちが避難をしている六郷中学に行った。あの震災から3ヶ月が経ってもまだ中学校の講堂で暮らしている人たち。大変な苦労はあるんだろうが、森君の歌を聞いてみな明るい表情だった。人間はそういつまでも悲しい顔をしているわけにはいかないんだろうな。私も一曲だけ歌わせてもらった。
 6月11日は渋谷・BUNKAMURAのオーチャードホールで加藤登紀子さんが中心の震災チャリティコンサートが行われた。加藤さんのお誘いで私もその仲間に入れてもらって加藤さんとのトークと歌を一曲、宮崎県の民謡「刈干切唄」を歌った。被災した東北地方は日本の故郷のような地域だ。だから私は自分の故郷九州を思いながら心から歌った。2200人の聴衆で満席。その前で歌えて気持ちがよかった。加藤さんの他にはBEGINやKOBUDO-古武道、川嶋愛三らがジョイントした。終わって私も出口に立って募金を呼びかけたが、あっという間に千円札や一万円札で手にした箱が一杯になった。最終的にはこの日の募金額は約115万円だったというから、日本人の思いやりの気持ちも本当に素晴らしいものだ。そう思った。
 チャリティの翌週、コミュニティFM全国50局の放送で加藤さんと一時間ぐらいのトーク番組をやった。今回の震災のこと、原発事故のこと色んなことを話した。
 18日には山梨県の北杜市、八ヶ岳のの麓で有機農業をやっている菅原文太さんとの対談。
これは私が月に一回やっているBS朝日の番組「対×談の時間」の収録。菅原さんは山梨県の要請で全国からやって来た7人の若者たちと八ヶ岳の高原地帯で農業と取り組んでいる。有機農業はやはりそれなりの苦労があるそうで、それをリーダーでやりこなしている菅原さんも立派だ。77歳になる。私の大先輩だけど、気楽に気持ちよくお話が出来る素敵な男だ。
 最後の美女は大阪毎日放送のアナウンサー、松川浩子さんだ。私が今回がんの闘病記録『がん患者』(講談社)という本を出したので、その取材でインタビューアーとしてお会いした。
6月30日TBSテレビで「はなまるマーケット」に出演した私を追いかけて取材、その後毎日放送の東京支社でインタビューを受けた。普通アナウンサーのインタビューはディレクターが作ったメモにそってインタビューすることが多いが、彼女は全くの自分の言葉で質問をしていた。今週の火曜日に放送されると言っていたので関西地区の人たちは見ることが出来るだろう。見てほしい。
 忙しくて一つ一つのイベントをこのブログでフォローしきれていなかったので、今回はまとめてこういう形を取った。ご了承あれ!!

2011年6月30日木曜日

ようやく本を出しました『がん患者』(講談社)


 今年1月から書き始めていたがん闘病の記録が今日30日、『がん患者』という本になって講談社から出版されました。休日もない中で少しでも時間を作り書き綴って来たものが一冊の本になるのはうれしいものですねぇ!私は2005年10月に大腸がんの手術を受けて以来、肺と肝臓に転移して4回の手術をやりました。自分でも4回も体にメスを入れたのか、と驚くばかりですが、現在の医療のレベルはすごいですね。今のところは元気に暮らしています。それどころかがんの手術をする以前より今の方が健康的で体の調子もいいという状況です。
 この5年間のすべてをディテールに拘って書きました。だからがんの患者の方にもこれからなるかもしれないがん予備軍の方々にも参考になるものだと思っています。是非参考にしてがんとのつきあい方を考えてみてください。
 出来るだけ客観的で、しかも平易に書こうと努めましたので読みやすい本だと思います。
 日本人2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで亡くなるという時代。専門家の話では2015年には亡くなるのも2人に1人になるそうですから、これをお読みなっているあなたやあなたの家族の誰かががんになる可能性がある時代なんですね。がんになると何が起きるのか?患者は何を思うのか?家族はどうすればいいのか?いざがんになるとやらなければならないことや考えなければならないことがわーっと押し寄せてきます。そのときに備えて私の体験記を是非読んでみてください。きっといろんなヒントが得られると思います。

2011年5月6日金曜日

カトリーナの爪痕


ニューオーリンズで驚いたのは2005年8月に襲ったハリケーン・カトリーナの爪痕が町のあちこちに多く残っていることだ。
この年の10月に私は直腸がんの手術をしたので、カトリーナの傷が癒えるのと私のがんとの戦いの日々とは時期的にはちょうど重なるわけだ。
結構時間は経っているように思えるが、ニューオーリンズの被災地帯を車で念入りに回ってみると、壊れたまま放置された家がそこらじゅうにあり、家の礎石だけがむき出しに残り、もはや原野としか言いようがないところが目立った。
多くの住民が町を出たまま未だに帰っていないのだという。被災地の大半がミシシッピ河や湖の近くにある貧困層の住んでいたところで、100%黒人、つまりアフリカ系アメリカ人だ。 ニューオーリンズは黒人居住区と白人の住んでいる地域は確実に分かたれているようだ。黒人居住区で被災地の親や家を失った子供たちを音楽で立ち直らせている試みールーツ・オブ・ミュージックの練習を見学に行った。8歳から14歳までのこども125人がブラスバンドの練習をやっていた。教えているのはボランティアの音楽教師やミュージシャンたちだった。練習中の子供たちは真剣で規律正しいのが印象的だった。
何かに熱中するのはいい教育なんだろうな。
日本の津波の被災地の子供たちには極めて示唆に富む光景だった。
(写真はミシシッピ河を背景に取材スタッフと)
なお、この取材報告は6月7日夜NHKのBS1で放送される。こう、ご期待!

2011年5月4日水曜日

ニューオーリンズの町には音楽が溢れている

4月30日からアメリカはルイジアナ州ニューオーリンズに来ている。
NHKの「旅のチカラ」という番組の取材で10日間ね旅だ。旅の目的はマイ・ラストソングを探すこと!私は新聞記者になりたてのころ、新潟支局時代だけど、偶然手にした一枚のLPレコードに心を奪われた。
それはそれまで大学生のころ親しんでいた音楽とは異なるものだった。
オスカー・ピーターソン、ピアノトリオ。
初めて知ったビアにストだった。後で彼はジャズピアニストとしては神のような存在だと知ることになるが、その時はジャズの世界に疎かったせいで、何も知らないまま手にしたレコードだった。
何気なく下宿の部屋で独り聞いたとき、すっかりはまってしまった。
「カナダ組曲」
カナダ生まれのオスカー・ピーターソンが作曲、演奏している、この組曲を繰り返し繰り返し聞いたものだ。
私の青春時代に出会った忘れ得ぬ一枚の絵のような記憶だ。
そこから私はジャズの世界に導かれていったようなものだ。
で、今回の旅はジャズが生まれた町、ニューオーリンズに自分が死を意識したとき最後に聞く曲を探しにやって来たというわけだ。
ニューオーリンズの町にはジャズが溢れている。フレンチクォーターの通りではあちらこちらからバンドの音が聞こえてくる。
ここは一年中お祭りのような町だ。存分に楽しんでいきたい。
写真はここの祭り、マルディグラでみんなが被るマスクを被ってみたところ!

2011年4月27日水曜日

松川事件のカギ「諏訪メモ」を見た!!

皆さんは松川事件といって分かるかなぁ?戦後最大の冤罪事件で、検察が証拠隠しと捏造をやってのけた、とんでもない事件と裁判だ。
事件は1949年8月17日午前3時9分、東北本線松川ー金谷川間で起きた。貨物列車が脱線転覆し、機関士ら3人の乗務員が死亡した。
警察は人員整理(首切り)に反対していた地元の東芝労組と国鉄労組などの組合員たちが引き起こしたものと見て20人を逮捕、起訴された。
一審の判決は東芝労組の佐藤一さんら5人に死刑、残り15人も有罪の判決だった。
被告たちは当然無罪として裁判を争ったのだが、被告団の中で最年少だった赤間被告の自白調書が重要な役割を果たし、無罪を勝ち取るのは難しい状況だった。そこに爆弾のようなアリバイを裏付ける証拠が投げ込まれた。
それが後に「諏訪メモ」と呼ばれるようになる日記帳の存在だ。
これは当時東芝の工場の事務課長補佐をしていた諏訪親一郎氏が団体交渉の様子を大学ノートに出席者の名前などともにを書き込んでいたものだ。
検察のストーリーでは7月13日と15日に被告たちが列車転覆の共同謀議をしたことになっている。が、この諏訪メモによれば謀議の中心人物、佐藤一氏は同じ時間に団体交渉の席にいたことが明らかだ。
検察はこの重要な、しかし、検察のストーリーには不利な証拠を意図的に隠していたのだ。
それを最初に素っぱ抜いたのが、当時毎日新聞福島支局二年生の倉嶋康記者だった。
今日、倉嶋さんに初めて聞いたけど、かれは団体交渉の記録があることを当時の宮本検事正に直接聞いたのだという。しかもその記録は福島地検にはなく、郡山支部にいる鈴木久学検事(かつて松川事件担当検事)が持っていることも分かった。
倉嶋さんがスクープした、この諏訪メモの衝撃は大きく、最終的には裁判は全員無罪で終わった。
先ごろは村木さんの裁判では主任検事が証拠を改竄までして検察のストーリーを押しとおそうとしていたことが明らかになっている。でもショックだったのは倉嶋さんのスクープ記事は社会面ではなく、福島県版だったということだ。
当時のデスクたちがいかにニュースに鈍かったか!
こんな世紀のスクープを一面はおろか社会面にも載せないなんて
(写真は倉嶋さんと、福島大学松川事件資料室で。手にしているのが諏訪メモのコピー)