2010年7月17日土曜日

『市民の声』という時のいかがわしさ

 民主党の小沢一郎前幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる事件で東京第一検察審査会が、小沢氏を不起訴とした検察庁の判断に対し「不起訴不当」という議決をした。これについて昨日(16日)の新聞各紙は様々な反応を見せているが、全体としてまたもや「市民の判断は重い」という前回(第5検察審査会の議決ー起訴相当)と似た反応だ。
 典型は朝日の社説。
 「『不起訴不当』 市民の声に耳を澄ます」
 どうして新聞などメディアは「市民」というと「はっはー」と頭を下げてしまうの?
 不思議でならない。市民がそんなに偉いのか?市民はただ「市民」というだけで価値があるのか?「市民」という言葉に拝跪する姿が私にはどうにもおかしくて仕方が無い。
「市民」の主張が内容的にみてなるほど説得力があって正しいと思われる場合は「市民」をありがたがってもいいだろうが、きちんとした検証抜きにありがたがるのはもういい加減にしたらどうだろう。国民世論という名の下に日本人をすべて沈黙と羊のような絶対的服従に追い込んだ戦時中のことはメディアは今どう反省しているのか?同じことをやっているんではないのか?
 朝日新聞の社説子はこう書く。
 「気になるのは、事件を機に一部の法律家やジャーナリストの間で持ち上がった審査会への批判だ。いわく、審査員には証拠を精査する能力がない。社会の風潮に左右される.そんな連中に強い権限を与えるのは危険だー。
 ためにする批判であることは明らかだ。今回の議決からは、補佐役の弁護士の助けも得ながら、健全な常識と感覚に照らして証拠を丹念に検討した形跡がうかがえる。政治資金規正法の改正に向けて具体的な提言もしている。
 主権者である国民が司法に参加することで、司法の基盤は強まり、民主主義の発展をもたらす。そのことを再確認できる内容といえる。制度をよりよくするための細部の見直しや検討は必要だが、市民の判断力を低く見たり危険視したりするような主張にくみするわけにはいかない」
 恐らく私などはこの朝日社説子の「気になる」主張の一人に入るんだろうな。
 でも、ここではっきりしておきたいのは私は一般論として「審査員には証拠を精査するの能力がない」というつもりもないし、「市民の判断力を低く見たり危険視したり」するつもりもない。肝心なことは「市民」が出した「議決」の内容が果たして妥当であるかどうかという一点にかかっているんだと思う。社説子の危険な所は検察審査会の議決を批判の対象にする試みを一般論で一括りにしてあたかも偏見で物を言っているかのように描くことだ。
 そうではない。先ず、検察審査会が議決要旨以外には何も情報公開されていないことが問題である。告発状に基づきこの審査会は議論を始めたのだが、告発したのはいったいどこの誰なのか?市民団体というだけで正体が分からない。告発は正義感に基づき行われたのだから告発主体がどう言う団体なのか?我々は知る権利があるはずだ。しかし、審議の内容も一切秘密のベールに閉ざされていて分らない。特に「市民」が審議していく時に審査補助員という名の弁護士がついているが、この弁護士が社説子の言うように「補佐役の弁護士の助けも得ながら」どう言う役割を果たしたのか?極めて不透明だ。前回の第5検察審査会の審査補助員は弁護士とは言うものの、元検事や裁判官を努めた人物で、私たちがイメージする在野の弁護士とはちょっとばかり異なる経歴の持ち主だということを皆さんは知っているのだろうか?
 前回の議決書に「近時」という言葉が出て来る。この言葉を見た瞬間、私には正体見えた、という気がした。「近時」などという言葉は「市民」は使わないのだ。一般市民はこういうときは「最近」とか「近頃」と言うに決まっている。「近時」などというのは法律家が難解な言葉を駆使して文章を書く時に使うものだ。つまり、あの議決書は市民が書いた物ではない。補助員である弁護士の書いた物であるのは明らかだ。それもヤメ検、ヤメ判の弁護士だ。
 前回の議決書がこういう経歴の弁護士に誘導された可能性は否定出来ない。しかし、断定も出来ない。なぜなら、議論の過程が一切公開されていないからだ。
 さて、今回の議決書の内容だが、議論の結論部分が「はずだ」「推認出来る」などと言う言葉が多用されていて、人間一人の運命を左右する議決書の文章としてはあまりにも具体的な証拠を欠いていて杜撰である。
 さらに、「水谷建設の資金提供」のくだりでは「小沢事務所に資金提供したとの水谷建設関係者の供述は具体的で本人しか知り得ない事情も含まれ、信ぴょう性はかなり高い」という判断で虚偽記載の動機になりうるとの判断を示している。しかし、この5000万円と言われる資金の提供については東京地検特捜部が徹底的に捜査をしたところだ。それでもその事実関係は明確にならず、小沢氏は不起訴処分になっている。プロが捜査を遂げた物を否定するならもっと説得力を持った具体的な事実の指摘が必要でないか?「信ぴょう性はかなり高い」の一言で片付けられても困るのだ。
 さいごに社説子が「政治資金規正法の改正に向けて具体的な提言もしている」と持ち上げている部分だが、これは検察審査会の目的から言って明らかに外れている。これは不必要な提言だ。検察審査会の仕事は検察庁が出した結論が妥当かどうかを判断する所であり、法改正の提言迄は求めていない。こういうあたりがうさん臭いのだ。一見正義の使者みたいな装いで私たちに近づいて来るものは所詮いかがわしいものである。