2010年8月29日日曜日

私とテレビ朝日アナウンサー、野村真季さんのふたりでやっているBS朝日の番組「医療の現場」のテキスト本9月号が出ました(写真)。今回は各種ワクチンの最新事情をはじめ、認知症、地域医療、骨粗鬆症と四つのテーマを取り上げ詳しく解説しています。
いずれも番組とで取り上げたテーマですが、テレビで見て本で読むとさらに病気のことが理解できるので、こうしたテキストは大変便利です。
一冊724円で講談社から出版されています。

2010年8月27日金曜日

70歳からのダンスレッスン

 70歳も半分過ぎました。こうやって残り時間がじりじりと削られていきます。
 それはもう仕方のないことではありますが、せめて残り時間を精一杯楽しく悔いがないように過ごしたいと思って暮らしています。そう言う中で学生時代にちょっとやりかけて途中でストップ状態になっていることを再開することにしました。
 それは社交ダンスのレッスンです。
 もう何年も前からやりたいなあと思いながら踏み切れないでいましたが、70歳という年齢が背中を押しました。たまたま先日からテレビ東京の旅番組「いい旅夢気分」で杉本彩さんと長崎にロケで行きました。旅の途中杉本さんがアルゼンチンタンゴの名手と言うことを知っていたので「いいダンス教室を紹介してくれませんか?」とお願いしました。その結果
新一の橋の近くにあるあるダンス教室を紹介してもらい、本日覗いて来ました。
 時間帯がそうなのか結構受講者が多くて驚きましたが、いい先生なので速攻で決めて来週より通うことにしました。
 楽しみがまた一つ増えました。

2010年8月20日金曜日

暑かばい!

長崎は燃えてるよ。この暑さは半端じゃなかばい、いやほんなこつ。龍馬の跡を訪ねて坂の街をさるく(歩く)。

2010年8月19日木曜日

長崎を杉本さんと・・・

長崎にやって来ました。テレビ東京「いい旅夢きぶん」という旅番組で長崎を巡ろうという試み。お相手が最高!あの杉本彩さんだ。今長崎港にやって来てこれから伊王島に渡ろうというところ。今夜の宿泊地だ。フェリーをバックに一枚パチリ!やったぜぇ!

2010年8月14日土曜日

核の傘

 どうしても聞き捨てできない言葉がある。
 先日広島で秋葉市長が「核の傘」からの離脱を求めたのに対し、菅総理大臣が記者会見で「現状では核の抑止力は引き続き必要である」と述べたことについてだ。
 菅総理大臣が言いたかったことは、北朝鮮が今や核弾頭とミサイルを保有する朝鮮半島をめぐる現実と、さらには中国やロシアが核ミサイルを大量に保有している状況下では日本はアメリカの核の傘の下で守られていなければならない、と言うことだろう。
 まず、本当に日本はアメリカの核に守られていなければその3国の内どの国にか核攻撃を受ける可能性があるのか?この疑問に納得がいく答えが無い限り菅総理大臣の言葉は意味が無い。
 この3国のうち最も可能性がありそうなのは北朝鮮だろう。これまでも日本上空を越えてミサイルが飛び太平洋上に落下しているので、北朝鮮のミサイルが日本を照準にミサイルを日本領土内に撃ち込むことは可能と考えられるからだ。確かに技術的には可能かもしれない。しかし、問題は技術ではない。ミサイルを撃ち込む動機ー必要性だ。どう言う理由から北朝鮮は日本にミサイルを撃つ必要性があるのか?新聞などメディアはこの技術可能性だけを論じて今にも北のミサイルが日本に降って来るようなことを言うが、肝心の動機については殆ど無視しているのが実情だ。
 北朝鮮が日本に期待しているのは賠償金という名の資金だ。
 その金庫蔵を核で潰して何の意味があるのだろうか?
 日本の自衛隊と戦闘状態になる必然性もない。
 問題があるとすれば在日米軍基地の存在だ。
 ここから通常兵器でも米軍の攻撃が将来北に加えられることがあればその報復として、北朝鮮が核ミサイルで在日米軍基地を攻撃して来る可能性は捨てきれない、と言うことが出来る。そう言う意味では日本における米軍の存在が安全保障ではなく、逆に危険因子として意味が出て来るのだ。
 つまり、核の傘は同時に核のターゲットでもあるという現実だ。
 核の傘に守られるとしか誰も言わないが、実はこの核のターゲット論こそ私たちがちゃんと認識しておかなければならないことなのだ。
 それは、可能性としては非常に低いが中国やロシアだって同じ問題を孕んでいるということだ。
 実は私はこうした「核の傘=核の標的」の現実を取材中に思い知らされたことがある。これまであまり言ってこなかったが、今回の菅総理大臣のあまりに能天気な言葉を聞くにつけこれは事実をキチンと紹介しておくべきだと思い、以下に述べたいと思う。

 私たち「ザ・スクープ」の取材チームが旧ソ連のシベリアにあるICBMの基地の街に入ったのはソ連が崩壊する直前の1990年夏頃だったと思う。そこはバイカル湖の近くイルクーツク空港から車で4〜5時間走ったシベリアのど真ん中、それでもシベリア鉄道の沿線の街だった。人口は5万人くらい、住民の大半がミサイル基地の仕事に就いている、文字通り基地の街だった。ソ連のICBM(大陸間弾道弾)の基地はシベリア鉄道に沿っていくつも設置されていた。それはミサイルや核弾頭、その他人員や物資を運送するのに便利だからだ。
 ICBM基地に西側のメディア、特にテレビカメラが入ったのは初めてだったと思う。 
 殆ど自由に基地内部を取材することが出来、ミサイル部隊の将兵にも自由にインタビューすることも出来た。カメラが入れなかったのはミサイルの発射司令塔の中だけだった。
 基地内部の最もセンシティーブな部分、ミサイルのサイロも取材出来たが、地下に縦に掘ったサイロ=格納庫にミサイルが鎮座しているのを見るのは勿論初めてで、興奮したのを覚えている。なにしろ、このミサイルに核弾頭を積んで発射させれば地球上のどこでも広島型原爆の何倍もの破壊力を持った核兵器で攻撃出来るのだから。こうしたサイロは何カ所もあってサイロごとに司令塔が付属していた。また、サイロの中に鎮座しているミサイル(大陸間弾道弾)
はいくつか種類があってそれは射程距離の違いで区別されているようだった。
 あるサイロの傍でソ連軍の将校に聞いた。
 「ここのミサイルはどこを照準にして格納されているのか?」
 「アメリカ本土である」
 「ではここから発射した場合どのくらいの時間でアメリカに届くのか?」
 「大体30分である」
 「ヘェー 30分でワシントンとか攻撃出来るのか?」
 「もちろん、アメリカの主要なターゲットは30分以内で攻撃出来る』
 勿論通訳を入れての会話だったが、私は自分が冷戦の最も大事な部分に立っていることを実感してちょっと身震いするような気分だった。
 また、別のサイロの近くのオフィスでソ連軍将校に質問した。
 「ここはどんな方のミサイルなのか?」
 「ここは中距離ミサイルのサイロだ」
 「中距離ではアメリカには届かないはずだが、ここのミサイルの照準はどこに向けられているのか?」
 この時その将校はにこりともせずに壁に貼ってあった地図上の一点を指差した。
 「ここだよ!」
 次の瞬間私は文字通り目を剥いた。
 「ええっ!!!!!???」
 その地図上の一点とは沖縄だった。
 私は自分の浅はかさを呪った。
 ソ連軍にとって軍事上の敵、アメリカは何もアメリカ本土内にいる訳ではないんだ。最もソ連に近い所にいるのは日本であり、西ドイツ(当時)やイタリアなどの米軍基地なのだ。
 それにしてもソ連のミサイル核弾頭弾が常時日本の米軍基地を狙っているとは思ってもいなかった。これは恐らく日本人ほとんどがそう思っていたに違いない。政治家だってそうした事情をどこまで知っていたか?疑問である。
 冷戦体制の中日本はアメリカの核の傘の下にて守られている代償としてソ連の核の標的だった、という冷厳な事実を今こそ日本人は知らなかればならない。
 こう言う歴史的な事実を知れば、菅総理大臣がいう「核抑止力」などという物がいかに現実無視のお寒いものか分るだろう。
 唯一の被爆国、日本の総理大臣は「核の傘」とか「核抑止力」などという寝言を言わず、敢然として核廃絶の先頭に立つことを表明するのが務めなのではないか!?

2010年8月8日日曜日

東京親鸞会で講演

 昨日(8月7日)東京・築地にある築地本願寺で「在京門信徒の夕べ」という会が開かれたが、そこに招かれて講演をして来た。演題は「いのちについて」。1時間の予定だったが、結局1時間20分位喋っていた。亡くなった私の父と親鸞聖人との関わりから話し始めて、限りあるいのちにどう向き合うかなどについて話して来た。
 講演の後は東京親鸞会の会員さんたちとの懇親会にも出席したが、隣りの席に会長の近衛正子さんがお座りになっていたので私が何気なく「「あのぉ、近衛さんというとあの近衛さんのご一族ですよね?」と聞いた。後で考えると馬鹿な質問だったと思う。会長を務め近衛とくれば当然あの近衛さんに決まっているのだ。返って来た答えは「はい、近衛文麿の長男の嫁でございます」。えええっ?!近衛文麿といえば戦時中の総理大臣だ.その息子さんは確か近衛文隆さんといって終戦時満州にいた軍人故にソ連に抑留され1956年に病死されているはずだ。で、話しているうちにだんだん分って来たのは日本赤十字社の社長の近衛忠輝(てるの正確な字は火偏に軍という字なのだが、パソコンでは出てこない)さんは元総理大臣の細川護煕さんの弟で、近衛家に養子で来られ、三笠宮やす子(やすの字は出てこないのでひらがなで)さんと結婚された。つまり私が話している正子さんはその忠輝さん夫妻のお母様なのだった。そのかたが浄土真宗(西本願寺)の在東京の門徒さんたちの集まり東京親鸞会の会長をされているのだった。
 という訳で大変な方と気楽に話をしていたのだ。この東京親鸞会は昭和42年に発足したというからもう43年の歴史を持つ会だそうだ。
 さて会場で頂いた小冊子「言葉のプレゼント」に「死について」という頁があり、そこに色んな人の言葉があったので紹介しておこう。

 「昨日まで 人のことと思いしが 俺が死ぬのかそれはたまらん」(蜀山人)
 「僕が 死を考えるのは死ぬためじゃない 生きるためなんだ」(マルロー)
 「私たちは 生まれたとたんに死に始めている」(マリニウス)
 「死と同じように避けられないものがある それは生きることだ」(チャップリン)
 「人はいつか必ず死ぬということを 思い知らなければ 生きていることを 実感出来ない」(ハイデッカー)
 「人は死ぬ瞬間までも もしかしたら助かるかもしれないと 空想しうる力を 与えられている」(武者小路実篤)
 「なぜ 死を恐れるのですか まだ 死を経験した人は いないではありませんか」(ロシアのことわざ)
 「このところずっと 私は生き方を学んでいるつもりだったが 最初から死に方を 学んでいたのだ」(ダ・ヴィンチ)

 それぞれ味わい深いなあ!!

美しき姫君

今読み終わった本を紹介しておきたい。ごく最近あのレオナルド・ダ・ヴィンチの真作と判った「美しき姫君」とタイトルのついた一枚の絵にまつわる話を書き綴った本だ。
写真で見るように少女の横顔を描いたものだが、一目みて描かれた少女そのものにも、また絵そのものにもえもいわれぬ気品を感じる。
本の表紙の折り返しにつけられた説明がこの本のすべてを物語っていると思うので、そのまま引用させて頂く。これを読むとこの発見がいかに世紀の大事件だったかということがわかる。以下引用

「1998年1月のNYクリスティーズで、たった1万9千ドルで落札された無名の作品は、実はレオナルド・ダ・ヴィンチ自身の手による真作だった。
ダ・ヴィンチ研究の世界的権威と最新のデジタル画像解析技術による作品の精査は、画面上に遺された『指紋』の照合をふくめ、この『世紀の大発見』が真実だと結論づけた。このニュースは2009年に世界を駆けめぐった。
本書はその検証の当事者たちが経緯のすべてを書き下ろしたものだ。さながらミステリ小説のように、作品に秘められた謎があらゆる角度から読み解かれ、その出自がしだいに明らかにされていく。美術史に残る貴重な1冊である。」

あの「モナ・リザ」にも匹敵する魅力をたたえた、15世紀末イタリア上流階級の姫君の横顔だ。何度見ても惹き付けられる。
一読をお薦めしたい。
出版社は草思社だ。

2010年8月7日土曜日

夕焼けが美しい!



8月7日、品川プリンスホテル38階からの夕景。あまりの美しさに見とれてシャッター!

秋葉市長のこと

 原爆投下から65年目の昨日8月6日、広島では平和記念式典が行われ、戦後初めて国連事務総長やアメリカのルース駐日大使、英仏の代表らが式に参列した。
 これは昨年プラハでオバマ米大統領が行った核廃絶の演説を受けて、世界がほんの少し核廃絶に向けて動き始めた印かなと思う。
 勿論なぜオバマ大統領が今「核廃絶」を打ち出したのかについては色んな見方があると思う。
 冷戦時代は東西陣営の核バランスで一定の安定が得られていたが、2001年の9・11以後はアメリカは非対称の戦争に踏み込まざるを得なくなり、正規軍ではない、アメリカが言う所の「テロリスト」勢力からいつ、どんな形で攻撃を受けるか分らないという難しい時代に突入した訳だ。その中でアメリカが最も恐れているのがアメリカ本土が何らかの形で核の攻撃にさらされることだろう。これは貿易センタービルの攻撃を受けたアメリカの実感としての恐怖だと思う。
 それを阻止する一つの道として核の不拡散ー核廃絶が出て来たんだろう。広島と長崎の恐怖を今アメリカは心から恐れている訳だ。それがプラハ演説であり、今回のルース大使参列に他ならないと思われる。
 当然ながらオバマさんが本気で核廃絶を志向しているという考え方も成り立つ。そうであってほしいが、アメリカがそんな生易しい国ではないことは皆さんもご承知のことだろう。ホワイトハウス高官は「11月の日本訪問時に被爆地を訪れる計画は無い」とオバマさんが広島に行く考えが無いことを明らかにした。
 さて、広島市の秋葉忠利市長は記念式典の「平和宣言」の中でこう述べた。
 「今こそ、日本国政府の出番です。『核兵器廃絶に向けて先頭に立』つために、まずは、非核三原則の法制化と『核の傘』からの離脱、そして『黒い雨降雨地域』の拡大、並びに高齢化した被爆者に肌理細かく優しい援護策を実現すべきです。
 また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯に受け止め自ら行動してこそ『核兵器ゼロ』の世界を創り出し、『ゼロの発見』に匹敵する人類の新たな1頁を2020年に開くことが可能になります」
 この提言に対し菅直人総理大臣は平和式典に出席後広島市内で記者会見し
「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ」
 と述べ、秋葉市長の「核の傘」からの離脱という要望にあっさりと冷水を浴びせてしまった。また、仙谷官房長官は非核三原則の法制化と言う秋葉市長の求めに対し「改めて法制化する必要は無い」とこれまた冷水で応えた。
 こうした民主党政権の核への対応については日本国内からは怒りや情けないという反応が噴出した。これは今に始まったことではないのだ。菅政権は完全に官僚にコントロールされた情けない政権に成り下がっているからなのだ。民主党に少しは期待した日本の有権者にとっては先の参院選で突如「消費税10%」持ち出し、普天間基地撤去問題でも早々と日米合意をして沖縄の人々の顔を逆撫でしたこの政権の正体が明らかになりつつある。
 嗚呼情けなや、情けなや!!!
 ところで、秋葉市長のことについて誰もが知らない話をここで明らかにしておきたい。
 秋葉さんは私がアメリカの新聞社で1年働いていた1982〜3年頃、アメリカ東部地区にあるタフツ大学の準教授だったが、その頃から「アキバ・プロジェクト」というプログラムを実行されていた。これはアメリカの地方新聞やラジオ、テレビ局の記者たちを8月の原爆記念日の前後に日本に送り出し、記者たちのヒロシマ体験記事を書いてもらうという試みだった。アメリカの草の根からヒロシマ認識を変えていこうというこのプロジェクトは日本の誰も考えたことの無い素晴らしいものだった。秋葉さんの核廃絶への行動は広島市長になる遥か以前から実行されていた訳だ。その延長線上に今日の広島市長としての秋葉さんがいて、それが6日の記念式典での「平和宣言」になっていることを知って欲しいのだ。
 「平和市長会議」という世界の市長4000人で作られている団体の会長は秋葉さんだ。
 秋葉さんはその意味で菅直人より遥かに世界的に知名度がある人物なのだ。
 その秋葉市長の核廃絶に向けての具体的な提言に菅総理は背を向けた。
 これが今の民主党政権の実態である。
 

2010年8月5日木曜日

肉体改造の巻

4月23日から肉体改造のトレーニングを始めて3ヶ月が過ぎた。
六本木にあるTOTAL WorKoutで週三回のパーソナル トレーニング。生まれて初めての経験。今日まで楽しくやって来て、その密着取材の結果が今度の土曜日午後6時からBS朝日の「医療の現場」でオンエアされる。70才になって残り時間もそうないし、なんかこれまでやってないことに挑戦したくて筋肉トレーニングをやることにした。
それに90才になるは母親が足が弱り転んでは骨折するのを見ていて、歳をとるということは足から衰えていく、そう実感したことも筋トレの動機の一つだ。
少しずつ筋肉が増えて足腰がしっかりしてきたのが何よりも嬉しい。(2010/8/5)